経書堂・大日堂・仁王門・馬駐・西門

本堂(重要文化財)

経書堂

寺院名 来迎院(らいごういん)
通称名 経書堂(きょうかくどう)
所在地 京都市東山区清水2丁目233
電  話 075ー561ー5781
バス停 清水道または五条坂(京都バスでは東山五条)

【経書堂の寺宝】
  <聖徳太子像>
  本尊
 聖徳太子が16歳のときの像

 <重軽石(おもかるさん)>
  本堂の前におかれている玉石
 「信心をこめて伺い軽く持ちあがれば万事よし。
 持ち上がらなければ翌日、また上がるように自ら考ること」といわれている
 「願掛け石」「占い石」とも称される

経書堂(きょうかくどう)は、東山の清水坂と産寧坂(三年坂との辻の北東角にある小堂謡曲「熊野」には、「経書堂はこれかとよ」と謡われている小石を集めて、法華経を一つの石に一文字づつ書いて、水を注いで死者の魂を供養し奉納したといわれる現在は、清水寺により管理されている


①清水坂や五条坂を登って行くと、左から上ってくる産寧坂の東角に経書堂の建物が見えます。  
 
③狭い境内の左端に「経書堂」の石標が埋め込んでありました。  
 
⑤内陣と外陣の境に掛けられた扁額の文字「経書堂」は、金泥なども残って明確です。  
 
⑦方々の寺院や神社で見かける「重軽石(おもかるいし)」が置かれていました。お願い事を念じて石を持ち上げ、軽ければ願いが叶う、重ければ願いは成就しないという占いの石です。  
 
②正面から見た経書堂です。右隣に庫裏が建つのみの小規模な寺院で、参詣する人の姿も少ないようです。
  
④唐破風の軒下に掛けられた扁額の文字「経書堂」は、かなり古びていました。  
 
⑥堂内の厨子は閉扉されていて、聖徳太子像や他の仏像を直接拝む事は出来ませんでした。

謡曲「熊野」に「経書堂はこれかとよ」と謡われ、聖徳太子の開基といわれています。ここで小石を拾い、法華経を一つ石に一文字づつ書いて、水を注いで死者の魂を弔らい奉納したことから経書堂と呼ばれている。太子16歳の像を本尊とするが残念ながら一般には公開されていません。堂の正面は、昼間は少し開けられており、「おもかるさん(重軽石)」が置かれている。いわゆる「願掛け石」「占い石」で、「ここに供へあるの玉石は、その身疑わしき事あらば、信心をこめてうかがひ、軽く持ちあがらば万(よろず)よし。持ち上がらずば明日また、あがりやうによりて自ら考ふべし」と言い伝えられています。


由  緒:来迎院経書堂は清水寺の参道入口に位置しています。従って古くから多くの清水寺参詣者に親しまれた存在だったようです。謡曲「熊野(ゆや)」にも「御法の花も開くなる 経書堂はこれかとよ」と謳われている御堂です。
通称を経書堂(きょうかくどう)というのは、僧侶や俗人の男女が手頃な小石を集めて法華経や諸々の大乗経などの1字を書き、水を注いで諸霊を弔ったので、「経を書く堂」すなわち「きょうかくどう」と呼ばれたのが由来だそうです。
来迎院の寺歴は明らかではありませんが、元治元年(1864)に刊行された「花洛名勝図会」の記述に拠りますと真言宗の寺院で、(現在は清水寺の塔頭寺院となり北法相宗に属します。)聖徳太子の開基と伝承されています。太子がこの地に来られた際に、阿弥陀・観音・勢至の三尊佛が空中に浮遊影向されるのを見られて草創されたとのことです。3尺(90cm)ばかりの聖徳太子自作と称する16歳像を本尊とし、脇檀には前記の三尊像を安置しているそうです。 

大日堂・仁王門・西門に関しては後日 

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